大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

甲府地方裁判所 昭和57年(ワ)245号 判決

本案事件

原告

右代表者法務大臣

谷川和穂

右指定代理人

堀内明

外一六名

被告

忍草入会組合

右代表者組合長

天野重知

右訴訟代理人弁護士

新井章

大森典子

髙野範城

江森民夫

寺島勝洋

加藤啓二

主文

一  被告は原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物及び別紙物件目録(三)記載の各物件を収去して、別紙物件目録(一)記載の土地を明け渡せ。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文同旨

2  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)を所有し、これを、原告所有の陸上自衛隊北富士駐屯地梨ヶ原廠舎(以下「梨ヶ原廠舎」という。)の敷地の一部として管理している。なお、この梨ヶ原廠舎敷地には、廠舎として陸上自衛隊北富士駐屯地北富士演習場(以下「北富士演習場」又は単に「演習場」という。)の管理及び使用統制のための施設並びに演習場において訓練を行う自衛隊員の宿泊施設が設置されているほか、野営地としても利用されている。

2  被告は、その主張するところによれば、「主として明治時代から継続して忍草区に居住し、現に農業を専業とする家の世帯主をもって構成され、忍草区固有の入会地の保護管理並びに入会地の利用及び入会地から生ずる収益(現物及び金銭)の管理運営等を目的とし、入会地及び入会財産にかかわる一切の収益の管理運営及び処分に関する一切の事項等を業務とする」いわゆる権利能力なき社団である。

3  被告は、本件土地上に、別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)及び同目録(三)記載の囲障、木柵等(以下、本件建物と合わせて「本件建物等」という。)を建設又は設置の上これらを所有し、本件土地を占有している。

よって、原告は、被告に対し、本件土地の所有権に基づき、本件建物等を収去して本件土地を明け渡すことを求める。

二  請求原因に対する認否

全て認める。

三  抗弁

1  占有権限

(一) 被告は、本件土地について入会権を有しており、本件建物等は、入会権に基づき、その権利の行使として、設置されたものである。

(二) 被告の入会権の存在

被告組合員は、本件土地を含む梨ヶ原一帯に、明治初年の地租改正以前から、堆肥、飼料用の生草、燃料用の粗朶類等を採取する入会権を有し、現に入り会ってきた。

原告も、被告が梨ヶ原一帯に従来有してきた入会慣行を尊重する旨を再三にわたり確認してきており、被告の入会権の存在を認めていた。

(三) 小屋設置の必要性

入会権の行使のためには、小屋の設置が不可欠である。

一般に、入会のために小屋の設置が必要とされる理由については、入会権の行使について紛争のある場合とない場合とで異なる。

(1) 紛争のない場合

梨ヶ原の入会地は広大であり、そこで採草を大量に行うとき、一定期間入会地に宿泊する必要があり、また休息や、雨宿りのためにも小屋が必要となる。更には、草や粗朶の採取をするための鎌、縄、ノコなどの道具や刈り取った草の保管場所としても小屋を設置する必要がある。

(2) 紛争のある場合

入会地について紛争が有る場合、例えば、土地所有者が入会権を否認し、入会権の行使を妨害している場合、後日のためにこれを監視し、またこうした不法な実力行使に対し、自ら入会権を行使する意思を対外的に明示する必要がある。そのためにも小屋の設置が必要となる。

(四) 本件建物等の設置経過

被告は、戦後一貫して入会権を守る運動、北富士演習場の全面返還の要求運動を継続してきており、その闘いの中で、入会権を行使するために、その都度小屋を設置してきており、昭和四七年三月に本件建物が入会権行使のための小屋として建てられた。

(五) 本件建物の機能

(1) 本件建物を設置した当時、被告組合員による採草、採木は継続されており、その道具及び草等の保管のために小屋の必要性は高かった。そして、本件建物でも入会行為が行われていた。

(2) 原告は、従前被告の入会慣行を尊重する旨言明していたにもかかわらず、入会権を否定するに至り、広大な梨ヶ原演習場として、入会地を侵害しているため、被告によるその監視が必要であり、また入会集団として被告が常に入会権の行使を行う意思を対外的に明示する必要があり、そのために本件建物が必要であった。

(3) また、原告が被告の入会権を事実上侵害している以上、これを防衛するためには、実力を行使することは不可欠であり、そのために本件建物等は設置維持されたのであるから、このことは入会権行使の一態様というべきである。

(六) 以上のとおり、本件建物は、被告の入会権の行使のために設置されたものであるから、被告は本件土地について本件建物を設置する権限を有する。

2  権利濫用

(一) 仮に被告が本件土地に入会権を有していないとしても、次の事情からすると、原告が被告に対し本件土地から本件建物等を収去することを訴求することは、権利の濫用に当たる。

(二) 原告は、従来から被告による入会権慣行を尊重することを言明してきており、また、本件建物が撤去されることによる原告の利益は大きいものではない。だからこそ、原告は、本件建物が設置された以後も一〇年以上にもわたりこれを放置してきた。

(三) 右事情からすると、原告は、円満な解決をするため、事前に被告と話し合いなどを行った上で撤去を求めるべきであるのに、これをせず、本件建物等の収去を訴求してきたことから判断すると、原告の本件建物等の撤去の目的は、演習場の平和的利用のために被告が行ってきた活発な活動を一挙に圧し潰し、また東富士道路建設の妨害を事前に防止するという政治的な目的によるものと見られるのであって、このような状況の中で、本件建物等の収去を求めることは、権利の濫用に当たる。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

(一) (一)の主張は争う。

(二) (二)の事実は否認する。

なお、被告は演習場反対行動のために実力行使をして演習場に立ち入り座込をしたり、小屋を設置するなどしており、その際に、被告の「入会慣行を尊重する。」等といった政府の回答書等が出されているが、これは、人命を尊重し、米軍に演習場を提供させるという条約上の義務を円滑に履行するため、被告の違法な実力闘争を阻止すべくやむなくとった措置であり、原告が法的意味における入会権の存在を認めたものではなく、また、これによって、入会権が創設されるわけではないことはいうまでもない。

(三) (三)の主張は争う。

(四) (四)の事実のうち、被告が戦後北富士演習場の全面返還の要求運動を継続してきたこと、被告が数度にわたり小屋を設置してきたこと、本件建物が昭和四七年三月に設置されたことは認め、その余の事実は否認する。

(五) (五)の事実のうち、原告が従前入会慣行を尊重する旨言明したことがあること、現在被告の入会権を否定していること、梨ヶ原を演習場としていることは認め、その余の事実は否認する。

(六) (六)の主張は争う。

2  同2について

(一) (一)の主張は争う。

(二) (二)の事実のうち、原告が従前入会慣行を尊重する旨言明したことがあること、本件建物が設置されて以来一〇年以上の間、原告が特に強硬手段をとらず本件建物等が設置されたままであったこと(ただし、本件建物は昭和五八年八月一九日、当庁昭和五八年(ヨ)第一九四号建物収去等土地明渡仮処分申請事件の仮処分決定に基づく執行によって撤去されている。)は認め、その余の事実は否認する。

(三) (三)は、否認ないし争う。

五  原告の主張及び反論

1  小屋設置権限の不存在

(一) 本件建物等は、入会権行使のためではなく、専ら米軍及び自衛隊の演習妨害を目的とした基地反対闘争のために設置された、いわゆる団結小屋(闘争小屋)にすぎず、入会権の行使とは無関係なものであるから、被告の入会権の有無を問疑するまでもなく、本件建物等について本件土地の占有権限は認められない。

(二) 被告は、入会作業のために小屋の設置が必要であると主張するが、北富士演習場等には、団結小屋の他にはかつて一度も入会作業小屋は設置されていない。

近時、忍草部落においても、農業経営は省力化と機械化が進み、近代的農業経営に推移しているところであり、運搬手段たる自動車の普及により、演習場等と忍草を短時間で往来していることから、入会作業のための小屋を設置する必要性はなかった。

本件建物についても、入会作業のため利用されていなかったことは、本訴提起に先立つ占有移転禁止の仮処分命令(当庁昭和五七年(ヨ)第一四八号事件)及び前記建物収去等土地明渡仮処分決定に基づく執行の際、本件建物には入会権の行使を窺わせる鎌、縄等の器具や刈り取った草等は一切保管されていなかったことからも明らかである。

(三) 本件建物等の設置の経過及びその利用状況は次のとおりである。

(1) 被告は、昭和四二年八月二〇日に、基地反対闘争の拠点とするため、平和利用、演習場全面返還を求めると称して、梨ヶ原廠舎の南々西約一六〇〇メートル中道沿の地点(梨ヶ原地区内着弾区域)に団結小屋(第一団結小屋)を建て、被告の一部組織であり被告構成世帯の主婦を中心に結成されている忍草母の会々員を常時三名程度、交代制をとりながら泊り込ませ、昭和四三年一一月までの間に三回にわたり、小屋の増設、増強、付帯施設の設置等を行った。そして、昭和四五年七月には、この団結小屋の周囲に頑丈な木柵を巡らし、櫓を組み、同年八月には更に、その周囲に深さ約三メートル、幅約四メートル、延長約二〇〇メートルの塹壕のような溝を掘り、旗柱を立て、立看板を並べ、要塞化するに至った。

このように急遽要塞化が進められたのは、昭和四五年七月六日駐留米軍が北富士演習場において実弾演習(演習期間同月一四日から同月一五日までの二日間)を計画し、その旨を地元関係当局に通知したのがその契機となっている。

そして更に、同年一〇月一六日に駐留米軍が、防衛庁に対し、同月二九日から同月三一日まで、北富士演習場において実弾演習を実施することを通告してくるや、被告は、一段とその反対闘争態勢を強化し、忍草母の会を中心に泊り込みを強め、支援団体と相携えて実力で演習を阻止しようとした。

そこで、原告は、やむなく甲府地方裁判所に、右第一団結小屋の収去と土地明渡の断行の仮処分を申し立て、同年一〇月二四日に仮処分決定を得たので、この決定に基づき、同月二七日右小屋を撤去した。

(2) この第一団結小屋撤去に引き続く昭和四五年一〇月二五日から昭和四六年一二月二〇日にかけて、被告は第二小屋ないし第一四小屋の一三の団結小屋を設置して基地反対闘争を展開したが、原告は、その都度これを撤去した(第六小屋を除く。)。

(3) 右のとおり、着弾区域付近に次々と建てられた第一ないし第一四小屋が原告によって撤去されたため、被告は昭和四七年三月三〇日、設置場所を変えて、梨ヶ原廠舎正面より約五五メートル中道沿の地点に第一五団結小屋を設置し、次いでこの小屋を梨ヶ原廠舎正面側へ四、五メートル移動し、小屋のそばに丸太組の監視塔を設置した。これが本件建物である。当時本件建物には、連日、忍草母の会々員およそ三人が交代で寝泊りし、監視塔に設けた放送施設で定期的に北富士演習場全面返還、平和利用を訴える放送を梨ヶ原廠舎の自衛隊員や演習場に出入りする自衛隊員、防衛庁関係者に向けて行い、宣伝を始めた。

そして、昭和五五年一一月本件建物が何者かによって襲撃されるという事件が起きたことから、被告は、本件建物の周囲特に北側沿いに丸太組を作り、有刺鉄線などを張ったバリケードを築き、本件建物を要塞化するなどした。そのため本件建物は、形態的にも基地反対闘争団結小屋であることがますます顕在化してきた。また、先の襲撃以来、本件建物には中核派とみられる者が数人ずつ常駐するようになり、それまで出入りしていた忍草母の会々員らはほとんど出入りしなくなり、専ら反自衛隊・反米軍の活動の拠点たる様相を呈するに至った。

(4) 原告は、本件訴訟の提起に先立ち、本件建物に対する占有移転禁止等の仮処分申請をなし、昭和五七年九月七日の右仮処分決定に基づき、翌八日仮処分執行をなし、同日本訴を提起したが、右執行に赴いた時、本件建物等には中核派と見られる者三名がいただけであり、被告ら関係者はいなかったものである。

そして、右仮処分執行後も、本件建物には常時中核派とみられる者二、三名のみが駐在しており、集会とか、スピーカーの設置等、特別の行動をとる時のほかは、被告関係者が本件建物に立ち寄ることはなくなった。

(5) 被告は、昭和五八年三月から五月にかけて数回にわたり、本件建物等に新たにアンプ・スピーカー等の放送施設を搬入、設置し、梨ヶ原の返還要求等を内容とする大音量の宣伝放送を連日のように早朝から深夜まで行った。

また、被告は、昭和五八年六月一九日に本件建物等の前で中核派とみられる者二一名を加えた合計一〇一名により「六・一九忍草総決起集会」を行った。

これらの被告による基地反対ないし演習妨害行為は、前記の大音量の放送とともに、本件建物等が自衛隊員の業務の妨害行動の拠点として使用されるものであることを具体的に示すものである。

(四) このように、被告は、昭和四二年八月に北富士演習場の着弾地内に第一小屋を設置し、これが昭和四五年一〇月に仮処分決定に基づき撤去されたのに引き続き、次々と基地反対闘争の拠点として、米軍及び自衛隊の実弾演習ないし演習場使用を事実上妨害する目的のみで着弾地域付近に第一四小屋までを建てており、本件建物等はこれに続いて建てられものである。

当初の第一小屋は、自衛隊の実弾射撃訓練を妨害する意図をもって着弾地内に建てられた座込小屋であり、その設置の目的及び場所からみて、第一小屋は被告のいう入会権の明認又は監視的機能なるものとは無縁なものである。そして、第一小屋から本件建物の設置に至るまでの経過や本件建物の利用状況からみても、本件建物は、第一小屋ないし第一四小屋と同じく、基地反対闘争の拠点とするためにのみ設置された団結小屋であり、入会権の明認又は監視的機能の側面から設けられたものといえないことは明らかである。

(五) なお、被告は、原告による入会権侵害の下で、入会権を主張するための小屋が必要である旨主張するが、この主張は明らかに失当である。

仮に自衛隊及び米軍が演習場の土地を使用することによって同地の入会権が侵害されているとしても、その救済を図り被害を回復するためには入会権に基づく妨害排除請求又は損害賠償請求等の訴訟を提起するか、その侵害の状況を世論に訴えて支持を求める等の合法的措置をとり得るのであり、それらの措置を講じている間はたとえ現実に入会権の行使が不可能又は著しく困難であったとしても入会権の放棄又は消滅とは解されないのであるから、被告としては、右措置によるべきである。

2  権利濫用の抗弁に対する反論

原告は、本件建物が梨ヶ原廠舎地区内に存在するもので、演習場の着弾区域に存在するものではなく、昭和四七年三月当時の米軍による実弾演習に直接には妨害とならないので、強硬手段を差し控えていた。

しかしながら、この国有財産である本件土地の侵犯行為を排除すべく、その撤去方については、国有財産部局長たる横浜防衛施設局長名及び国有財産共用事務担当官陸上自衛隊北富士駐屯地業務隊長名をもって、被告に対し、再三再四通告しているにもかかわらず、これまで被告は全く応じていない。それどころか昭和五五年からは中核派とみられる者が常駐している有様である。

さらに、前記被告の行動がもたらす騒音によって、原告は、北富士演習場の円滑な使用に重大な支障を来していたのである。すなわち、被告らの前記のような大音量による宣伝放送のため北富士演習場内で演習している演習部隊と演習統制部隊とが同一内容の無線連絡を数回繰り返し行わなければならない等の連絡上の支障を来し、また、梨ヶ原廠舎内に宿泊している自衛隊員は早朝の四時三〇分に起こされ深夜の二三時まで就寝を妨げられる等の被害を被った。その上、被告らの行動がもたらす騒音によって生活を妨害された演習場周辺住民から一日も早く平穏な生活ができるよう対処して欲しい旨の苦情を受けているのである。このように、原告は今回の本件建物を拠点とした被告の演習場反対行動によって現在本件土地を含む国有財産の使用管理に現実的な支障を来しているのであり、今後も同様の具体的な危険が存続しているのである。

よって、本件建物等は、何らの権限もなく設置された不法工作物であり、原告の所有権を不法に侵害しているものであり、国有財産(行政財産)管理上支障をきたすのでその撤去を求め本訴の提起におよんだものであるから何ら不当な点はない。

3  被告の入会権の不存在

(一) 山梨県南都留郡旧忍草村など旧一一か村の住民は明治二六年まで本件土地を含む富士山北麓の梨ヶ原一帯に入会権を有していたが、被告が結成されたのはそのずっと後のことであり、被告が入会権を有していた事実はない。

(二) 右の入会権が消滅した経過は次のとおりである。

(1) 本件土地は、徳川時代旧忍草村を含む地元一一か村の共同入会地の一部であった。明治初年の地租改正、官民有地区分の際、本件土地を含む梨ヶ原地区の二三四町五反七畝二九歩の土地を旧一一か村共有の民有地として地券が発行された。

(2) 明治二六年ころ、右土地のうち本件土地を含む区域を分割し、これを地元住民に個別利用させるよう共有関係村の連合村会において決議され、本件土地は、この決議に基づき、桑園、畑又は植林用地として利用するため約三反ないし五反歩に分割され、地元住民の希望者に貸し付けられた土地の一部となった。このような状態は、昭和二年ころまで継続した。

右分割貸付けにより、本件土地の共有利用という形態すなわち、部落民が団体的統制のもとに本件土地に立ち入って下草や小柴等を採取することでの入会は当然廃止になった。

(3) 前記旧一一か村の共有地は、大正元年には福地村外四か村恩賜県有財産保護組合に所有名義が変わり、その後、右組合は、本件土地を含む区域を別荘地及び鉄道用地として富士山麓土地株式会社に売却すべく、保護組合の議会の全員の一致により、右会社との間で、大正一五年一一月二二日、売買代金(地上物件補償料を含む。)二三万二〇〇〇円をもって売買契約を締結した。

この契約については、その後個別利用者から売買代金の配分について苦情が出、右会社に対する引渡が遅れたが、個別利用者と右組合とが話し合った結果、昭和二年三月一三日、円満に解決し、同年三月ころ、右会社に本件土地を含む土地の引渡しを完了した。

(4) このように、個人分割利用という形態での入会の利用をも廃し、任意に共有地を他に売却したのであるから、右時点で本件土地は完全に入会地でなくなったというべきである。なお、その後、本件土地は未墾地買収された後、演習場として原告が買収した。

六  原告の主張等に対する認否

1  1について

被告が、昭和四二年八月二〇日演習場全面返還を求める闘いの中で梨ヶ原地区内着弾区域に第一小屋を建てたこと、忍草母の会は被告の一部組織であり被告構成世帯の主婦を中心に結成されていること、原告が甲府地方裁判所に、右小屋の収去と土地明渡の断行の仮処分を申し立て、仮処分決定に基づき、昭和四五年一〇月二七日右小屋が撤去されたこと、その後、被告が十数個の小屋を設置したが、原告によってこれらが撤去されたこと、右の小屋がいずれも演習に直接影響を与える位置に建てられたこと、被告が昭和四七年三月設置場所を変えて梨ヶ原廠舎入口付近に本件建物を設置したこと、被告が本件建物等から自衛隊に対する批判宣伝の放送をしたこと、昭和五五年一一月本件建物が襲撃されるという事件が起きたことから、被告は本件建物を何回か改築、増築をしたこと、右の襲撃以来、本件建物等を強固にし、本件建物には忍草母の会々員以外の者が寝泊りするようになったこと、原告が本件訴訟の提起に先立ち、本件建物に対する占有移転禁止等の仮処分申請をなし、昭和五七年九月七日の右仮処分決定に基づき、翌八日仮処分執行をなし、同日本訴を提起したことは認め、その余の事実は否認ないし争う。

原告は、本件建物等は演習場反対闘争の拠点としての闘争小屋である旨主張するが、本件建物付近で集会がなされたのは、本件建物がたまたま梨ヶ原廠舎入口付近にあるため、小屋の近くで集会が行われたにすぎず、また本件建物を拠点として演習場に座込に行ったことなどもない。

そして、昭和五五年一一月本件建物が右翼によって襲撃されるという事件が起き、忍草母の会々員は身の危険を感じたため、以後会員以外の者が寝泊りするようになり、防衛のために本件建物等を強固にしたものである。また、一定の正当な目的をもった建物から通常の方法の自衛隊に対する批判宣伝をすることは自由であって、このように本件建物等の形態の変化や宣伝活動を行ったことから、本件建物等が原告主張の闘争小屋の性格を有するとはいえない。

2  2の主張は争う。

3  3について

山梨県南都留郡旧忍草村を含む旧一一か村の住民が徳川時代本件土地を含む富士山北麓の梨ヶ原一帯に入会権を有していたところ、明治初年の地租改正、官民有地区分に際し、梨ヶ原の土地のうち本件土地付近は、右旧一一か村の共有地として地券が交付され、その後右土地のうち本件土地を含む区域において、入会集団全員による入会が止められ、土地を分割して利用することになったこと、その後、旧一一か村の共有地は、福地村外四か村恩賜県有財産保護組合に所有名義が変わり、右組合は本件土地を含む土地を富士山麓土地株式会社に売却したこと、その後本件土地は未墾地買収された後、演習場として原告が買収したことは認め、その余の事実は否認ないし争う。

右の割り地利用は、入会地の契約利用といわれるもので、入会集団の入会をひとまず停止し、入会集団に所属するかどうかに関係なく土地を貸し付けて、その収益を入会集団が分配するというものである。したがって、土地を買い受けた右会社が立ち退き代金を支払った分割利用者は、いわば土地の賃借人にすぎず、右代金の支払によっても底地権的に入会権の問題は残るのである。保護組合の右会社に対する売買も入会権の処理は後で行うということで成立したのであり、入会権は消滅していない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因事実は、当事者間に争いがない。

そこで、以下、被告の抗弁について判断する。

二抗弁1(占有権限)について

1  被告は、本件土地について入会権を有しており、本件建物等は入会権に基づき設置されたものである旨主張するところ、原告は、本件建物等は専ら米軍及び自衛隊の演習妨害を目的として基地反対闘争のために設置された団結小屋にすぎず、入会権の行使とは無関係のものであるから、被告の入会権の有無を問疑するまでもなく、本件土地の占有権限は認められない旨主張するので、まずこの点について判断する。

2  本件土地の所有関係の変遷等について、次の各事実は、当事者間に争いがない。

(一)  山梨県南都留郡旧忍草村を含む旧一一か村の住民は、徳川時代本件土地を含む富士山北麓の梨ヶ原一帯に入会権を有していたところ、明治初年の地租改正、官民有地区分に際し、梨ヶ原の土地のうち本件土地付近は、右旧一一か村の共有地として地券が交付され、その後、右土地のうち、本件土地を含む区域においては、入会集団全員による入会が止められ、土地を分割して利用することになった。

(二)  その後、旧一一か村の共有地は、福地村外四か村恩賜県有財産保護組合に所有名義が変わり、右組合は、本件土地を含む土地を富士山麓土地株式会社に売却した。

(三)  その後、本件土地は、未墾地買収された後、演習場として、原告が買収した。

3  そして、〈証拠〉を総合すると、次の各事実が認められる。

(本件建物等の設置に至る経緯)

(一) 第二次世界大戦後、梨ヶ原一帯の土地が米進駐軍の演習場として接収された。その後、旧忍草村の住民を組合員とする被告は、この北富士の演習場は被告の入会地であり、入会権が不法に侵害されたとして、以下のとおり、基地反対闘争、演習場の全面返還を求める運動を展開した(右事実のうち、被告が戦後北富士演習場の全面返還の要求運動をしてきたことは、当事者間に争いがない。)。

(二) 昭和三〇年六月二〇日、被告組合員は、演習場内の着弾地内に座り込み、射撃演習の妨害をした。その後昭和三五年七月二九日にも演習場の全面返還を要求して、演習場内に座り込んだ。また、昭和三六年五月八日には、自衛隊演習阻止のために四か月にわたる座込を開始し、同年六月一五日には、演習場の着弾地域に小屋を建てた。昭和三九年五月八日にも、梨ヶ原廠舎西側に小屋を建てて座込を行った。

これらの座込の後、それぞれ、政府は、忍草区(旧忍草村)が梨ヶ原に有する入会慣行を尊重する旨や演習場の早期返還に最大の努力をする旨の書面を交付し、これによって、被告は座込を中止し、小屋を撤去しており、また昭和三九年六月二五日には、被告組合長は、防衛施設庁長官に宛てて、被告は今後演習場を駐留米軍及び自衛隊が現行の使用条件に従って使用することを了承する旨の覚書を交付した(右事実のうち、被告が演習場反対行動のために実力行使をして演習場に立ち入り、座込をしたり、小屋を設置するなどしており、その際に入会慣行を尊重する等の政府の回答書等が出されていることは、当事者間に争いがない。)。

(三) しかし、その後演習場の返還がなされないことなどから、被告は、再度演習場に立ち入って、着弾地域に小屋を設置したり、座込などをして基地反対闘争をした。

すなわち、昭和四二年七月一九日、政府は、東富士演習場の部分返還の実施を表明したところ、同年八月二〇日、被告組合員や組合員の世帯の主婦によって結成された忍草母の会の会員は、演習場の全面返還を求めるとして、北富士演習場内の梨ヶ原廠舎の南々西約一六〇〇メートル中道沿の地点(梨ヶ原地区内着弾地域)に小屋(「第一小屋」と称されている。)を設置し、以来忍草母の会々員が常時三名程度これに座り込み、また着弾地付近に立ち入った。これによって自衛隊の射撃訓練が中止された。

そして、被告は、昭和四三年一一月までの間に三回にわたり、小屋の増設、増強、付帯施設の設置等を行った。昭和四三年一一月一四日、防衛施設庁長官と被告組合長との間で、政府は被告の入会慣行を尊重し、昭和四四年六月三〇日をめどに演習場の返還を実現するよう努力する等記載された覚書が交わされ、忍草母の会々員は、昭和四三年一二月から翌昭和四四年六月三〇日まで座込みを止めたが、全面返還が実施されなかったことから、再度座込を開始した。

昭和四五年七月六日には、駐留米軍が北富士演習場において実弾演習(演習期間同月一四日から同月一五日までの二日間)を計画し、その旨を地元関係当局に通知し、政府に対して右小屋の撤去を要請した。被告は、原告による撤去に備え、同月この小屋の周囲に頑丈な延長約一〇〇メートルの木柵を巡らし、櫓を組み、同年八月には更にその周囲に深さ約三メートル、幅約四メートル、延長約二〇〇メートルの塹壕のような溝を掘り、旗柱を立て、立看板を並べ、これを要塞化した。同年一〇月一六日、駐留米軍が防衛庁に対し、同月二九日から同月三一日まで演習場において実弾演習を実施することを通告すると、被告は忍草母の会々員の泊り込みを強化してこれを阻止しようとした。

そこで、原告は、甲府地方裁判所に右小屋の収去と土地明渡の断行の仮処分を申し立て、同年一〇月二四日付けの仮処分決定に基づき、同月二七日右小屋を撤去した(右事実のうち、被告が昭和四二年八月二〇日演習場全面返還を求める闘いの中で梨ヶ原地区内着弾区域に第一小屋を建てたこと、忍草母の会は被告組合員の世帯の主婦を中心に結成されていること、原告が甲府地方裁判所に、右小屋の収去と土地明渡の断行の仮処分を申し立て、仮処分決定に基づき、昭和四五年一〇月二七日右小屋が撤去されたことは、当事者間に争いがない。)。

(四) 被告は、この第一小屋の撤去に備え、その執行の直前の同月二五日に、着弾地域内に第二小屋を設置したが、第一小屋の収去の執行と同日にこれが原告によって強制撤去されたため、同年一一月一日から昭和四六年一二月二〇日にかけて、第三小屋ないし第一四小屋を着弾地域に設置した。そして、忍草母の会々員やこれを支援する中核派の学生らが小屋に泊り込み、基地反対闘争を展開したが、原告は、その都度自力救済行為を理由としてこれらの小屋を撤去した(ただし、第六小屋は、何者かによって焼失した。)。(右の事実のうち、被告が十数個の小屋を設置したが、原告によってこれらが撤去されたことは、当事者間に争いがない。)。

(五) 右のとおり、演習場内の着弾地域付近に次々と建てられた第一ないし第一四小屋が撤去されたため、被告は昭和四七年三月三〇日、設置場所を変えて着弾地域ではなく、梨ヶ原廠舎正面より約五五メートル中道沿の地点に第一五小屋を設置し、次いでこの小屋を梨ヶ原廠舎正面側へ四、五メートル移動し、小屋のそばに丸太組の監視塔を設置した。これが同廠舎地上の本件建物である(右事実のうち、被告が昭和四七年三月設置場所を変えて梨ヶ原廠舎入口付近に本件建物を設置したことは、当事者間に争いがない。)。

なお、本件建物が設置された梨ヶ原廠舎敷地は、廠舎として北富士演習場の管理及び使用統制のための施設並びに演習場において訓練を行う自衛隊員の宿泊施設が設置されているほか、野営地としても利用されており(この事実は、当事者間に争いがない。)、梨ヶ原廠舎敷地に常駐する部隊は、演習場を管理・警備し、演習場を使用する部隊や演習場を使用する米軍との連絡・調整を行っている。また、演習場を使用する部隊のうちには、梨ヶ原廠舎内の宿泊施設で宿泊し又は同廠舎敷地で野営する部隊もある。このように、本件建物等が存する梨ヶ原廠舎敷地は、演習場と不可分一体的に使用されている。

(本件建物等の利用状況等)

(六) 本件建物は、木造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建て、面積22.68平方メートルの建物で、設置以降、連日、忍草母の会々員が三人程度交代で寝泊りした。そして、監視塔から、自衛隊の活動等を監視したり、同所に設置した放送施設で定期的に演習場の全面返還を訴える放送をしたりしていた。

(七) 昭和五五年一一月、本件建物が右翼によって襲撃されるという事件が起き、被告は、本件建物の周囲に丸太組を作り、有刺鉄線などを張ったバリケードを築き、本件建物を要塞化した。また、同年一二月六日、忍草母の会々員は、本件建物等の前で集会を開いたが、これに参加した中核派学生は、「入会小屋防衛隊」を結成してこれから長期間にわたり本件建物等に常駐する旨発言し、また本件建物の防衛闘争を同人らの演習阻止闘争を先どりする闘いとして位置づけた。そして以来、本件建物には中核派学生が数人ずつ常駐し、夜間は同人らのみが泊り込むようになり、被告組合員や忍草母の会々員らの本件建物等への出入りは減少した(右事実のうち、被告が本件建物を建築して以来何回か改築、増築をしたこと、昭和五五年一一月本件建物が襲撃されるという事件以来、本件建物等を強固にし、本件建物には忍草母の会々員以外の者が寝泊りするようになったことは、当事者間に争いがない。)。

(八) 原告は、被告に対し、再三にわたり本件建物等を撤去することを通告したが、被告はこれに応じなかったため、昭和五七年九月七日本件建物等について、被告の占有を解いて執行官に保管させ、現状を変更しないことを条件として被告に使用を許す占有移転禁止の仮処分決定を得て、翌八日右仮処分の執行をなし、本件訴えを提起した(右の事実のうち、原告が被告に撤去の通告をしたこと及び仮処分の執行をした後本訴を提起したことは当事者間に争いがない。)。

(本訴提起後の本件建物等の状況)

(九) その後、本件建物等には中核派の学生二、三人が常駐して、自衛隊の監視等をしていたが、被告は、昭和五八年三月二五日の夜半、本件建物等にラッパ型スピーカー二基を設置し、同年五月二四日に新たに、本件建物等内に放送施設(スピーカー合計一〇基、アンプ、コード等)を設置した。そして、被告は、同日午前一〇時から約八分間テスト放送をして、放送による基地反対闘争を再開した。この放送による音量は、梨ヶ原廠舎入口で約一〇五ホンの大音量であった。被告は、この放送施設を使って、翌日の五月二五日から同年六月一日まで、梨ヶ原の返還要求等を内容とする宣伝放送を本格的に行った。この放送は、午後七時二四分までに終わった同年五月二五日の放送を除き、連日、早朝の午前四時三〇分ころから午後一一時ないし一一時三〇分ころまで六回ないし一〇回断続的に行われ、その音量は、梨ヶ原廠舎内指揮所で、約五〇ホンから約一〇〇ホンであった。原告は、総理府所管防衛庁所属国有財産部局長横浜防衛施設局長名で、被告に対し、スピーカー及び付帯施設を直ちに撤去されたい旨の同年五月二四日付けの通告書を郵送し、また放送の都度、梨ヶ原廠舎勤務の自衛官が放送中止を警告したが、被告は放送施設を撤去せず放送を続けた。

同年六月一一日、富士吉田警察署長が放送中止の警告を三、四度行った。被告は、同月一二日に、同年五月二四日に設置したスピーカーを撤去し、新たに箱型スピーカー一基を設置した。被告はこの新たに設置した放送施設を使って、同年六月二四日正午ころ、放送を約一〇分間行い、以後同月二九日まで、連日午前六時ころから午後六時ころまで、五回にわたり宣伝放送を行った。この放送による音量は、梨ヶ原廠舎内指揮所で、約七六ホンから約一〇五ホンであった。被告は、同月三〇日及び同年七月一日は放送を止めていたが、同月二日早朝午前四時三〇分から放送を再開し、同日は午前四時三〇分から午前五時三〇分ころまでと正午ころから午後一時ころまでの二回、翌日の三日は正午ころから午後一時ころまでの一回、同月四日は正午ころから午後一一時ころまでの間に断続的に四回、それぞれ梨ヶ原の返還要求等を内容とする宣伝放送を行った。

その後、同月五日から原告が同年八月五日、本件建物等を収去し本件土地の明渡をもとめる断行の仮処分の申請(当庁昭和五八年(ヨ)第一九四号事件・昭和五八年(モ)第三五六号仮処分異議事件。本件建物等は、同月一一日付けの仮処分決定の執行によって同月一九日収去された。)をするまでの間、被告は、同年六月一二日に設置した放送施設を使い、連日、おおむね早朝の午前四時三〇分ころから午後一一時ころまでの四回、梨ヶ原の返還要求等を内容とする宣伝放送を行っていた。この放送による音量は、梨ヶ原廠舎内指揮所で、約六〇ホンから約一〇八ホンであった。

これらの放送は、演習場内で演習する部隊と梨ヶ原廠舎に所在する演習統制部隊との無線連絡を著しく困難にし、また梨ヶ原廠舎内で宿泊する自衛隊の安眠を妨害するものであった。また、原告や地元警察署に対して、演習場周辺住民から一日も早く平穏な生活ができるよう対処して欲しい旨の苦情が出された。そこで原告は、被告に対し、同年六月二一日付け及び同年七月五日付けをもって、同年五月二四日付けの通告書と同内容・同差出人名義の通告書を郵送するとともに、放送の都度、梨ヶ原廠舎で勤務する自衛官をして放送中止を警告させたが、被告は、放送施設を撤去せず宣伝放送を続けていた(右事実のうち、被告が小屋にスピーカーを設置して放送をしたことは、当事者間に争いがない。)。

(一〇) 被告組合員、忍草母の会々員、中核派の学生らは、本件建物を設置して以来多数回にわたり、本件建物等の周辺で演習反対等の集会を開いて活動したり、本件建物等に基地反対の看板や幟を設置するなどしており、昭和五八年六月一九日に本件建物等北側の広場で開催された集会の際には本件建物等に設置されたスピーカーが使用された。

また、忍草母の会々員は、同年七月四日、演習場の着弾地域に座込を行い、自衛隊の射撃訓練の妨害を行った。

以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

4 右認定の本件建物等の設置に至る経緯や本件建物等の内容及びその利用状況の事実によれば、本件建物等は、被告主張の入会作業の必要性とは無関係に専ら被告の演習場反対運動(入会権を主張する被告にとっては反面として入会権擁護闘争)のために設置、存続されていたものであることは明らかである。

すなわち、被告は、入会権の存続を主張して、戦後一貫して北富士演習場の全面返還、演習場反対運動を継続しており、その実力闘争として、昭和三六年から、演習場の着弾地域に小屋を設置して被告組合員忍草母の会々員が座り込み、同人らに対し人道的な配慮をせざるを得ないことを利用して、米軍及び自衛隊の実弾演習ないし演習場使用を実力で妨害していたのであり、本件建物は、昭和四二年八月に着弾地域に被告によって建てられた第一小屋が昭和四五年一〇月に仮処分決定に基づき撤去され、以後同様の目的で着弾地域付近に次々と建てられては撤去された小屋に引き続いて建てられたものである。本件建物は、それまで撤去された小屋が、着弾地域に設置されていたために仮処分や自力救済を理由として強制撤去されたことから、それを逃れるため設置場所を着弾地域ではない場所であり、かつ演習場の円滑な運営のために不可欠な梨ヶ原廠舎の正面の中道沿の地点という基地反対運動をするのに効果的と評される場所に設置されたものであると推認されるのであり、以後、被告は、本件建物等の監視塔から自衛隊の活動を監視したり、本件建物等に基地反対の看板や幟を設置したり、本件建物等の付近で基地反対の集会をしたり、本件建物等から大音量の放送をして自衛隊の演習を妨害するなど、本件建物等を中心とした演習場反対運動を継続し、また昭和五八年七月には、演習場内への座込の実力闘争も再開したのである。本件建物等の存在はこれら反対闘争の象徴ともいえるものであって、被告はこれを堅守すべく本件建物等を要塞化し、中核派学生がこれに常駐するに至っていたものである。

なお、取下前相被告忍草母の会代表者渡辺喜美江本人尋問の結果の中には、入会に入った者の荷物や子供を預かるためにも本件建物等を建て、そのようにも利用された旨、前掲乙第二六号証及び被告代表者天野重知本人尋問の結果の中には、本件建物は道具や子供を預かったり周辺の干草を管理する目的のためにも設置された旨の供述部分が存在するが、これを客観的に裏付ける証拠は全くなく、かえって、前掲甲第四二号証及び弁論の全趣旨によると、本件建物等に対する占有移転禁止の仮処分及び断行の仮処分の各執行の際、本件建物等の中には入会作業のために必要な道具等は全く存在しなかったことが認められること、被告代表者天野重知本人自身、本件土地は村から近いのでこの辺りに入会作業のための小屋は作らなかった記憶である旨供述していること、前記認定の本件建物等の設置経過や利用状況、特に最近では入会権とは無関係の中核派学生のみが本件建物に常駐していたことに照らせば、本件建物等が先の各供述のような目的のためにも設置されたことや、そのような利用がされたものとは到底認めることができないのであって、先の各供述部分は採用することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

以上の事実関係からすると、本件建物等は、入会作業の必要性とは無関係に専ら被告による演習場反対運動のために設置、存続されたものであると断ぜざるを得ない。

5  ところで、被告は、本件土地について、堆肥、飼料用の生草、燃料用の粗朶類等を採取する入会権を有していることを前提として、その入会権の行使のためには、入会地に小屋を設置することが不可欠であると主張する。

仮に、被告がその主張の入会権を有し、入会権の効力として入会地に小屋を設置することが認められるものであるとしても、土地所有者との関係上、それはあくまでも、採草等の入会作業を行うために合理的に必要とされる最小規模の小屋の設置の限度にとどまるものと解するのが相当であるところ、本件建物等は、前示のとおり入会作業の必要性とは無関係に設置され、利用されていたのであり、その設置目的・利用状況及びその構造・規模のいずれの観点においても占有権限が肯定され得る小屋でないことは明白であるから、被告の右主張は採用できない。

また、被告は、入会地について紛争がある場合、例えば所有者が入会権の行使を妨害している場合には、これを監視し、入会権を行使する意思を対外的に明示するために小屋を設置することが入会権の行使に不可欠なものとして認められるべきである旨主張し、本件でも被告は演習場に入会権を有し、これが原告によって侵害されているのであるから、このような小屋の設置が認められるべきである旨主張する。

しかしながら、右の主張も採用することはできない。入会地において入会作業のために必要不可欠な小屋の設置が許されることがあり得るとしても、それは、あくまでも入会権行使のために必要最低限度において許される小屋の設置の限度にとどまるものと解すべきであることは前示のとおりであり、入会権行使の意思を対外的に明示する必要があるからといって、およそ入会作業の必要性と無関係に公示のために小屋を設置することまでも許されるものと解するのは相当でないし、また、本件土地周辺において、入会作業とは無関係に公示のために小屋を設置することが許されていたという慣習の存在を認めるに足りる証拠もない。また、同様に入会権侵害を監視するために小屋を設置することが認められていたという慣習の存在についても、これを認めるに足りる証拠はない(かえって、証人天野明徳の証言の中には、小屋の中から入会権の侵害の見張をする必要はない旨の供述部分がある。)。

以上によれば、本件土地において、入会作業の必要性とは無関係に小屋を設置すべき権限は肯定されないというべきであり、本件建物等は、先のとおり、専ら被告の入会権擁護闘争のために設置されたものと認められるのであるから、この点に関する被告の主張は採用することができない。

さらに、被告は、原告は被告が演習場に有する入会権を事実上侵害しており、被告が、これを防衛するためには、実力の行使が不可欠であって、本件建物は、このために設置、維持されたものであるから、入会権の行使の一態様として認められるべきである旨主張する。

一般に、私力の行使は、原則として法の禁止するところであるが、法律に定める手続によったのでは、権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持しこれを回復することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情が存する場合においては、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許されるものと解するのを相当とする(最高裁判所昭和四〇年一二月七日判決・民集一九巻九号二一〇一頁参照)。

この観点から本件を見るに、〈証拠〉によれば、被告が入会権を有すると主張する演習場の土地を自衛隊及び米軍が使用することに関しては、原告の防衛庁長官は、昭和四八年四月以来、山梨県知事、北富士演習場対策協議会会長、山梨県富士吉田市長、山中湖村長、忍草村長及び富士吉田市外二ヶ村恩賜県有財産保護組合長との間で、演習場を自衛隊及び米軍が使用するについて国及び地元の利害関係を調整し、相互の便宜を図ることを目的として、五年を期限とする使用協定を相次いで締結していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、原告ないし米軍の演習場の使用については、昭和四八年以降は、原告と被告を除く地元の諸団体との間で使用協定が締結され、原告は、これに基づいて平穏に演習場を使用しているのであり、また、前示のとおり、それ以前においても、原告は演習場の使用を継続しており、被告も昭和三九年六月にはその使用を一時的にせよ認めていたのである。このように、原告による演習場の使用は、既に長期間にわたって継続しており、平穏な占有状態が形成されるに至っているのであって、かような場合において、仮に被告の入会権が侵害されているとしても、その救済を図り、また入会権の行使を継続する意思を表明するためには、入会権に基づく妨害排除請求や入会権存在確認請求等の訴訟(保全訴訟を含む。)を提起するか、その侵害の状況を適法な集団示威行動などの運動によって訴える等の合法的措置をとるべきであり(それらの措置を講じている間は、たとえ現実に入会権の行使が不可能又は著しく困難であったとしても入会権が消滅したとは解されない。)、本件において、私力を行使して本件建物等を設置維持させるべき緊急やむを得ない特別の事情が存するとは到底認められない。また、前示のとおり、入会作業の必要性とは無関係の小屋を設置し存続させるような措置は、入会権を行使する意思を明示する手段として許容されるものということはできず、必要の限度を明らかに超えるものというべきである。結局、この点に関する被告の主張もまた採用できない。

6  以上によれば、被告が本件土地について入会権を有するか否かに関わりなく、被告の占有権限の主張は採用することができない。

三抗弁2(権利濫用)について

被告は、原告が本件建物等を収去することを訴求することは、権利の濫用に当たり許されない旨主張する。

しかしながら、前示のとおり、被告には本件建物等を設置し存続させることができる権限がなく、本件建物等は、不法工作物として原告の本件土地所有権を違法に侵害しているのであって、原告は、被告に対し、本件建物等を撤去することを再三にわたり通告していたのであるが、被告はこれに応ぜず、前示のとおり、昭和五五年からは中核派学生が常駐するようになるとともに本件建物等を要塞化し、本件建物等は演習場反対闘争の中心となっていたものである。更には、本訴が提起された後においても、被告は本件建物等に大掛かりな放送施設を設置し、ここから非常識な大音量による宣伝放送を早朝から深夜にかけてなして演習を妨害し、これに対しては演習場周辺住民からも原告に対し苦情が出されていたのである。このような状況のもとにおいて、国有財産である本件土地の管理として、原告が本件建物等の撤去を求めることが正当な権利の行使であることは明らかであるというべきであって、被告主張の権利の濫用の主張は採用することができない。

四以上の次第で、被告の抗弁は、いずれも採用することができない。

したがって、被告は、原告に対し、本件建物等を収去し、本件土地を明渡す義務がある。

五よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、仮執行の宣言の申立ては、本件建物等が既に断行の仮処分によって収去されている事情に鑑み、その必要がないものと認めこれを却下し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口繁 裁判官橋本英史 裁判官尾島明は外国出張のため署名押印することができない。 裁判長裁判官山口繁)

別紙物件目録(一)

山梨県南都留郡山中湖村山中字梨ヶ原一二一二番の一五二一

原野 一九八四平方メートル

のうち別紙図面(一)のイロハニホヘトイを順次直線で結んで囲んだ560.41平方メートルの部分

別紙物件目録(二)

(主たる建物)

所在 山梨県南都留郡山中湖村山中字梨ヶ原一二一二番の一五二一

木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建 居宅兼事務所

22.68平方メートル

(別紙図面(二)1のイロハニイの各点を順次直線で結んで囲んだ部分に所在する物件)

(附属建物)

(1) 木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建 便所

3.24平方メートル

(別紙図面(二)2のイロハニイの各点を順次直線で結んで囲んだ部分に所在する物件)

(2) 木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建 物置

8.91平方メートル

(別紙図面(二)3のイロハニホヘイの各点を順次直線で結んで囲んだ部分に所在する物件)

(3) 木造トタン張 櫓 一基 高さ約3.5メートル

(別紙図面(二)4のイロハニホヘトチイの各点を順次直線で結んで囲んだ部分に所在する物件)

別紙物件目録(三)

(1) 木造トタン張の囲障及び木柵 延長約一〇〇メートル

(別紙図面(三)1のイロハニホの各点、イチリの各点、ヘトチの各点及びヌルヲの各点をそれぞれ順次直線で結んだ線上に所在する物件)

(2) 木柱

(別紙図面(三)2のイ部分に所在する物件)

(3) 木造トタン張 小便所

(別紙図面(三)3のイ部分に所在する物件)

別紙図面〈省略〉

仮処分異議事件

債権者 国

右代表者法務大臣 谷川和穂

右指定代理人 堀内明

外一六名

債務者 忍草入会組合

右代表者組合長 天野重知

右訴訟代理人弁護士 新井章

同 大森典子

同 髙野範城

同 江森民夫

同 寺島勝洋

同 関本立美

同 加藤啓二

主文

一 債権者と債務者間の当庁昭和五八年(ヨ)第一九四号建物収去等土地明渡仮処分申請事件について、当裁判所が昭和五八年八月一一日になした仮処分決定はこれを認可する。

二 訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

第一 当事者の求めた裁判

一 債権者

主文同旨

二 債務者

1 主文第一項記載の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)はこれを取り消す。

2 債権者の本件仮処分申請を却下する。

3 訴訟費用は債権者の負担とする。

4 仮執行宣言

第二 当事者の主張

一 申請の理由

(被保全権利)〈省略〉

(保全の必要性)

5 梨ヶ原廠舎敷地と北富士演習場の一体性

本件建物等の存する梨ヶ原廠舎敷地は、北富士演習場の使用の円滑化のために同演習場と不可分一体的に利用されている土地である。すなわち、梨ヶ原廠舎敷地に常駐する部隊は、演習場を管理・警備し、演習場を使用する部隊や後述のように、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(以下「地位協定」という。)により演習場を使用する米軍との連絡・調整を行うことにより、演習場の安全かつ円滑な使用を確保しているのである。また、演習場を使用する部隊のうちには、梨ヶ原廠舎内の宿泊施設で宿泊し又は同廠舎敷地で野営する部隊もある。このように、梨ヶ原廠舎敷地は、北富士演習場の安全かつ円満な使用にとって必要不可欠なものであり、演習場と不可分一体的に利用されている。

6 北富士演習場の重要性等

北富士演習場は、師団規模の連続行動を行う訓練や、重火砲による長距離射程の射撃訓練が実施できる大演習場であり、関東地方に所在する部隊のみならず、東海地方、近畿地方、中国地方、四国地方等に所在する部隊も使用している重要な演習場である。演習場の昭和五七年度の使用実績は、使用日数三一二日、使用人員延べ約一四万八〇〇〇人である。また、演習場は、地位協定二条四項bの適用のある施設及び区域として同条一項により米軍に一時使用を許されている。

また、演習場の土地を自衛隊及び米軍が使用することに関して、防衛庁長官は、昭和四八年以来、山梨県知事、北富士演習場対策協議会会長、富士吉田市長、山中湖村長、忍草村長及び富士吉田市外二ヶ村恩賜県有財産保護組合長との間で、五年を期限とする使用協定を締結している。この使用協定は、演習場を自衛隊及び米軍が使用するについて国及び地元の利害関係を調整し、相互の便宜を図ることを目的として(同協定一条)締結されたものである。右の北富士演習場対策協議会(以下「演対協」という。)は、北富士演習場に関係をもつ団体及び住民の権益を守り、福祉の向上をはかることを目的として、演習場をめぐる諸問題を究明して国と交渉する等のために設置されたもので、山梨県、同県議会、関係市村及びこれらの議会、富士吉田市外二ヶ村恩賜県有財産保護組合(以下「保護組合」という。)及び同議会、入会組合(この中には債務者と同名であるが、別の忍草入会組合が入っている。)並びに土地所有者によって組織されている。そして、債権者は、「北富士演習場に関する諸問題について地元と交渉し若しくは協議する場合はすべて当協議会をその窓口とされたい。」との趣旨の演対協の申し入れに応じて、演対協を窓口として演習場に関する諸問題を解決し演習場を円満に使用しているところであり、昭和五八年四月八日には、防衛庁長官と山梨県知事、演対協会長、富士吉田市長、山中湖村長、忍草村長及び保護組合長との間で、同月一一日から五年間を有効期限とする使用協定(第三次)が締結され、債権者は、同協定により演習場を使用していたところである。なお、債務者は、当初、演対協に加入していたが、昭和四七年四月に脱退し、以後独自の基地反対闘争を行っている。

7 本件建物等設置の不当性

ところで、債務者は、梨ヶ原廠舎敷地の一部である本件土地の上に、本件建物等を設置したが、この建物等は、演習場反対闘争の拠点とする目的ないしは意図をもって設置された闘争小屋ないしは団結小屋である。この点は、次の本件建物等の設置の経緯から明らかである。

(一) 債務者が演習場に本格的な団結小屋を建てたのは、昭和四二年八月二〇日、基地反対闘争の拠点とするため、平和利用、演習場全面返還を求めると称して、梨ヶ原廠舎の南々西約一六〇〇メートル中道沿の地点(梨ヶ原地区内着弾区域)に団結小屋(第一団結小屋)を建てたのが最初である。債務者は、この小屋に、債務者の一部組織であり債務者構成世帯の主婦を中心に結成されている忍草母の会々員を常時三名程度、交代制をとりながら泊り込ませ、昭和四三年一一月までの間に三回にわたり、小屋の増設、増強、付帯施設の設置等を行った。そして、昭和四五年七月には、この団結小屋の周囲に頑丈な木柵を巡らし、櫓を組み、同年八月には更に、その周囲に深さ約三メートル、幅約四メートル、延長約二〇〇メートルの塹壕のような溝を掘り、旗柱を立て、立看板を並べ、要塞化するに至った。

このように要塞化が急遽進められた契機は、昭和四五年七月六日駐留米軍が北富士演習場において実弾演習を計画し、その旨を地元関係当局に通知したことにある。そして同年一〇月一六日に駐留米軍が、防衛庁に対し、同月二九日から同月三一日まで、北富士演習場において実弾演習を実施することを通告してくるや、債務者は、一段とその反対闘争態勢を強化し、忍草母の会を中心に泊り込みを強め、支援団体と相携えて実力で演習を阻止しようとした。

そこで、債権者は、やむなく甲府地方裁判所に、右第一団結小屋の収去と土地明渡の断行の仮処分を申し立て、同年一〇月二四日に仮処分決定を得たので、この決定に基づき、同月二七日右小屋を撤去した。

(二) 債務者は、この第一団結小屋撤去に引き続く昭和四五年一〇月二五日から昭和四六年一二月二〇日にかけて、第二小屋ないし第一四小屋の一三の団結小屋を設置して基地反対闘争を展開したが、債権者は、その都度これを撤去した(第六小屋を除く。)。

(三) 右のとおり、着弾地域付近に次々と建てられた第一ないし第一四小屋が債権者によってその都度撤去されたため、債務者は、昭和四七年三月三〇日、設置場所を変えて、梨ヶ原廠舎正面より約五五メートル中道沿の地点に第一五団結小屋を設置し、次いでこの小屋を梨ヶ原廠舎正面側へ四、五メートル移動し、小屋のそばに丸太組の監視塔を設置した。これが本件建物である。当時本件建物には、連日、忍草母の会々員およそ三人が交代で寝泊りし、本件建物等を拠点として、米軍による実弾演習に抗議するための座込や、米兵に対する放送などを行っていたが、昭和五五年一一月本件建物が何者かによって襲撃されるという事件が起きたことから、債務者は、本件建物の周囲特に北側沿いに丸太組を作り、有刺鉄線などを張ったバリケードを築き、本件建物を要塞化した。そのため本件建物は、形態的にも基地反対闘争団結小屋であることがますます顕在化してきた。また、先の襲撃以来、本件建物には中核派とみられる者が数人ずつ常駐するようになり、それまで出入りしていた忍草母の会々員らはほとんど出入りしなくなった。

(四) 以上の第一団結小屋の設置から本件建物等の設置に至るまでの経緯から明らかなように、債務者は、一貫して、基地反対闘争の拠点として団結小屋の設置を続けてきたのである。すなわち、債務者は、米軍及び自衛隊の実弾演習ないし演習場使用を事実上妨害する目的のみで右各団結小屋を設置してきたのである。

8 本件建物等に対する債権者の対応

債務者は基地反対闘争のための団結小屋たる本件建物等を国有地上に不法に設置しているため、債権者は、この国有財産侵犯行為を排除すべく、本件建物等の撤去方を債務者に再三再四通告したにもかかわらず、債務者は、全くこれに応じなかった。

そこで、債権者は、本件建物等について、国有財産(行政財産)の管理上の支障を排除するとの観点から、債務者を相手として、その撤去と敷地の明渡を求めて、当庁に対し、本案訴訟の提起に及んだ。

なお、本件建物等については、昭和五七年九月七日付けで当庁により占有移転禁止等の仮処分の決定(当庁昭和五七年(ヨ)第一四八号)がなされている。

9 本件建物等撤去の緊急の必要性

債権者による本案訴訟の提起後、以下に述べるように、債権者が本件の断行の仮処分の申請をせざるを得ない事情が新たに生じた。

(一) まず、本件建物等に新たに設置された放送施設を使っての放送等による自衛隊の業務妨害という事態が発生した。

(1) 債務者は、昭和五七年九月七日付け仮処分決定中の「現状を変更しない」との条件に違反して、昭和五八年三月二五日の夜半のうちに本件建物等にラッパ型スピーカー二基を設置した。このスピーカーは、使用されなかったようであるが、同年五月二四日に至り、債務者は、新たに、本件建物等内に放送施設(アンプ、スピーカー、コード等)を設置した。この放送施設は、外から見えるスピーカーをみても、合計一〇基という大規模のものであった。債務者は、同日午前一〇時から約八分間テスト放送をした。この放送による音量は、梨ヶ原廠舎入口で一〇五ホンの大音量であった。債務者は、この放送施設を使って、翌日の同月二五日から同年六月一一日まで、梨ヶ原の返還要求等を内容とする宣伝放送を本格的に行った。この放送は、午後七時二四分までに終わった同年五月二五日の放送を除き、連日、早朝の午前四時三〇分ころから午後一一時ないし一一時三〇分ころまで六回ないし一〇回断続的に行われ、その音量は、梨ヶ原廠舎内指揮所で、五〇ホンから一〇〇ホンであった。この放送施設及び放送については、債権者は、総理府所管防衛庁所属国有財産部局長横浜防衛施設局長名で、債務者に対し、スピーカー及び付帯施設を直ちに撤去されたい旨の同月二四日付けの通告書を郵送(同月三〇日債務者に到達)するとともに、放送の都度、梨ヶ原廠舎で勤務する自衛官をして放送中止を警告させたが、債務者は、これらの警告を無視し、放送施設を撤去せず放送を続けた。

同年六月一一日に至って、富士吉田警察署長が放送中止の警告を三、四度行った。そのためか、債務者は、同月一二日に、同年五月二四日に設置したスピーカーを撤去し、新たに箱型スピーカー一基を設置した。債務者はこの新たに設置した放送施設を使って、同年六月二四日正午ころ、自衛隊は、債務者の同意がない限り、梨ヶ原を使うことができないという趣旨の放送を約一〇分間行ったのを皮切りに、以後同月二九日まで、連日、午前六時ころ、午前八時ころ、正午ころ、午後三時ころ、午後六時ころの五回にわたり同内容の放送を行った。この放送による音量は、梨ヶ原廠舎内指揮所で、約九五ホンから約一〇五ホンであった。

債務者は、同月三〇日及び同年七月一日は放送を止めていたが、同月二日早朝午前四時三〇分から放送を再開し、同日は午前四時三〇分から午前五時三〇分ころまでと正午ころから午後一時ころまでの二回、翌日の三日は正午ころから午後一時ころまでの一回、同月四日は早朝から忍草母の会々員が演習場内で座込を行ったためか、正午ころから午後一一時ころまでの間に断続的に四回、それぞれ梨ヶ原の返還要求等を内容とする宣伝放送を行った。

その後、同月五日から本件仮処分の申請に至るまで、債務者は同年六月一二日に設置した放送施設を使い、連日、おおむね早朝の午前四時三〇分ころから午前五時三〇分ころまで、正午ころから午後一時ころまで、午後七時ころから午後八時ころまで及び午後八時三〇分ころから午後一一時ころまでの四回、梨ヶ原の返還要求等を内容とする宣伝放送を行っていた。この放送による音量は、梨ヶ原廠舎内指揮所で六〇ホンから一〇八ホンであった。

これらの放送について、債権者は、債務者に対し、同年六月二一日付け及び同年七月五日付けをもって、同年五月二四日付けの通告書と同内容・同差出人名義の通告書を郵送するとともに、放送の都度、梨ヶ原廠舎で勤務する自衛官をして放送中止を警告させたが、債務者は、これらの警告を無視し、放送施設を撤去せず放送を続けていた。

(2) 前記のとおり、本件土地を含む梨ヶ原廠舎敷地は、北富士演習場の使用の円滑化のために演習場と不可分一体的に使用されている土地である。しかるに、この土地の一角に設置された本件建物等を拠点とする右に述べた宣伝放送は、北富士演習場内で演習する部隊と梨ヶ原廠舎に所在する演習統制部隊との無線連絡を著しく困難にし、また、梨ヶ原廠舎内及び同廠舎敷地内で宿泊又は野営している隊員を、早朝の午前四時三〇分に起こし、深夜の午後一一時まで就寝を妨げ、睡眠不足にして翌日の北富士演習場内での訓練能率を大幅に下げるなど、本件土地を含む梨ヶ原廠舎敷地の使用目的を現実に著しく阻害し、このため、債権者は、連日、本件土地と不可分一体的に使用されている北富士演習場の使用について、訓練の妨害という回復し難い損害を受けることとなった。

また、本件建物等の設置の経緯及び目的並びに債務者及びこれと共闘している中核派の言動等からみて、右の放送は、単に、現実に右の阻害や損害を債権者に与えていただけでなく、本件建物等が債務者による基地反対闘争ないしは梨ヶ原の返還運動の一環としての積極的な自衛隊の業務に対する妨害行動の拠点となっていたことを如実に物語る具体的な事例とみざるを得ないものであった。

したがって、本件建物等を拠点とする本件土地の利用阻害及び本件土地と不可分一体的に使用されている北富士演習場使用に対する連日にわたる妨害による回復し難い損害の発生を防止するためには、一刻も早く本件建物等そのものを収去させる必要があった。

(二) 右の保全の必要性のほか、本案訴訟の提起後、更に次に述べるように本件建物等の収去の必要性につき考慮すべき特別の事情が存在した。

(1) 債務者は昭和五八年六月一九日に本件建物等の前で中核派とみられる者二一名を加えた合計一〇一名により「六・一九忍草総決起集会」を行い、同年七月四日には、忍草母の会々員九名が早朝から演習場内の着弾地区に座込を行い、演習を妨害したが、これらの債務者による基地反対ないし演習妨害行為は、前記の大音量の放送とともに、本件建物等が自衛隊の業務の妨害行動の拠点として使用されたものであることを具体的に示すものであった。本件建物等がこのような目的で使用されることにより、債権者は、本件土地を含む梨ヶ原廠舎敷地本来の用途を著しく阻害されることとなり、国有地の利用上回復し難い損害を受けるため、早急に本件建物等を撤去する必要性が存在した。

(2) 債権者は、演対協を通じ、債務者を除く全ての地元関係者と協議の上、地元関係機関と使用協定を締結し、北富士演習場を円満に使用してきたところ、昭和五八年二月から同年四月上旬にかけて行われた債権者と演対協等地元関係機関との間の使用協定(第三次)の締結交渉の際、地元関係機関から一致して、本件建物等を早急に撤去するか、少なくともそこから中核派を早急に退去させる措置をとるよう強く要請され、これに対し自己の責任で早期解決することを約束したばかりか、債務者による前記放送活動、忍草母の会々員による演習場内座込等本件建物等を拠点とする債務者の積極的な行動を契機として、同年七月二〇日、演対協理事会の討議を受けて演対協会長から本件建物等の撤去又は本件建物等から中核派を排除することを強く要求された。

このような事情からしても、梨ヶ原廠舎敷地の一部である本件土地の所有者たる債権者は、国有財産の適正な管理という観点から本件土地上にある本件建物等を早急に撤去する必要があり、また、これら演対協会長らの要求のもとで、これを調整し、北富士演習場を円満に使用するためには、拠点としての効用以外は考えられない本件建物等を撤去し中核派を排除する必要があった。

(3) 陸上自衛隊東部方面隊は、昭和五八年四月大型特殊車両(装軌車)教育の効率的な実施のため、本件土地を含む梨ヶ原廠舎北側地区に大型特殊車両訓練場等(以下「本件訓練場」という。)を整備する計画を立てた。これは、演習場の効果的な活用を図るという観点から整備の必要性が生じたもので、右地区が設置の適地性を有するためになされたものである。この整備を計画どおりに実現するためには、遅くても同年九月までに本件建物等を撤去する必要があった。

10 債務者の事情

一方、本件建物等の撤去により債務者が受ける不利益は、極めて少ない。本件建物等は、もともと、何らの正当な権原なく設置され、しかも現在では中核派が基地反対闘争等のために常駐するのみで、債務者の構成員は、本件建物等で集会が行われるときや演習場内で座り込む際に立ち寄る時等以外には使用していないという本件建物等の性格及び使用の実態からみて、その撤去によって債務者に属する何人にとっても、居住その他の日常生活を害されることはない。そして、本件建物は、本体を一夜で建てられる程度のトタン屋根木造バラック平屋建であり、その他の物件も基地反対闘争等のための道具だての役割をもつにすぎない。

よって、本件仮処分決定は正当なので、その認可を求める。

二 申請の理由に対する認否〈省略〉

三 債務者の主張

1 占有権限〈省略〉

2 権利濫用〈省略〉

3 保全の必要性について

(一) 債権者は債務者の本件建物等からの放送によって業務を妨害された旨主張するが、仮に放送による妨害を除去する必要があるのなら、放送設備の撤去等をすることで目的は十分達成できるのであり、例えば、カラオケの騒音がうるさいことを理由にその設置されている建物自体を収去する必要性はないのであって、このことは本件建物等を撤去すべき必要性にはならない。

(二) 債権者は本件建物等は債務者による闘争の拠点であるから収去の必要性がある旨主張する。しかし、本件建物から座込に出たことはない。また、債務者は本件建物の前で集会を行ったことはあるが、この集会は、本件建物があるから行われるのではなく、本件建物の前が自衛隊の梨ヶ原廠舎入口に当たるから集会が開催されるにすぎず、本件建物がなければ集会ができないわけではない。事実本件建物撤去後もその付近での集会は行われているのであって、この点も小屋を撤去すべき理由とはならない。債務者が本件建物等を強固にし、また債務者以外の者が本件建物等に寝泊りするようになったのは、昭和五五年一一月本件建物が右翼によって襲撃されるという事件が起き、それまで本件建物等に寝泊りしていた忍草母の会々員が身の危険を感じたためであって、債務者は防衛のために本件建物等を強固にしたものである。また、一定の正当な目的をもった建物から通常の方法の自衛隊に対する批判宣伝をすることは自由であって、このように本件建物等の形態の変化や宣伝活動を行ったことから、本件建物等が債権者主張の闘争小屋の性格を有するとはいえない。

(三) 債権者は本件訓練場の設置のために本件建物等の撤去が必要であった旨主張しているが、①本件訓練場は舗装もされておらず、各種の設備例えばS字型の道路など最低限の設備もないこと、②本件土地の工事は冬の雪のある中で無理やり行われていること、③本件訓練場で練習している姿が見られないこと、④梨ヶ原の演習場は広大であり、その全てが着弾地でないのに比べ、本件土地は東富士有料道路と梨ヶ原廠舎との間の細長い場所で訓練場としては不適切な土地であること、⑤仮に本件土地付近に現在規模の訓練場を作るとしても、本件建物を避けて設置することは可能であるのに、わざわざ本件建物に掛かるように場所を恣意的に選定していること、からすると、右の必要性は、本件仮処分申請のために作り上げられたものであることは明らかである。

四 債務者の主張に対する認否〈以下、省略〉

理由

第一被保全権利について〈省略〉

第二保全の必要性について

一債務者には本件建物等を設置維持して本件土地を占有する権限はなく、債務者が土地の不法占拠者であることは明らかであるところ、前認定事実等から明らかな以下の諸事情を総合すると、本件建物等が存続することによって債権者が受ける不利益は著しく、本案訴訟の判決を待ってしては損害を回復することができない特別の事情があるものと一応認めることができる。

1  そもそも、本件建物等は当初から何らの権限なしに設置された不法な建築物や工作物であることが明らかであり、債権者の本件土地の所有権を違法に侵害するものである。これらは入会作業の必要性など債務者の日常生活上の利便に資するものでは全くなく、専ら債務者による基地反対闘争のために違法に設置維持されたものであり、本件建物等は反対闘争のための要塞であるかの外観を呈し、中核派学生がこの闘争に共闘すべく常駐していたもので、本件建物等を維持することによって法律上正当に保護されるべき利益は存在しない。

2  債権者は、北富士演習場を地元諸団体との協定のもとに平穏に使用しているところ、本件建物等は、演習場の円滑な使用のために不可欠な梨ヶ原廠舎の正面中道沿の地点に、債務者の基地反対闘争の中心として債権者の演習場の円満な利用を妨害する意図のもとに設置維持され、債権者の所有権を侵害していたものある。そして債務者は、債権者の再三にわたる撤去の通告にも応じず、債権者が昭和五七年九月に本件建物等の占有移転禁止の仮処分執行(債務者の占有を解いて、執行官に保管させ現状を変更しないことを条件として債務者に使用を許したもの。)をなし、本件建物等収去土地明渡の本案訴訟を提起した後においても、翌昭和五八年五月、本件建物等に新たに大掛かりな放送施設を設置し、ここから非常識な大音量の放送を早朝から深夜にかけて繰り返して演習の妨害をし、自衛隊員の睡眠を妨害するという不法行為を継続するに至ったのであって、これは、本案訴訟の審理にある程度の時間を要せざるを得ず、本件建物等を直ちに収去することができないために、新たに債権者に著しい損害を生ぜしめたものであり、前記仮処分では債権者の権利保護を図ることができないことを示すものであった。さらに同年六月には、忍草母の会々員による演習場内着弾地域の座込という実力闘争も開始されるに至ったのであって、債務者らによる過去の実力闘争の経過も併せて考慮すると、本件建物等を利用した基地反対闘争が今後ますます激化し、債権者の業務が妨害され、債権者に、本案訴訟の審理判決を待ってしては避けることができないより以上の損害が生じる高度の蓋然性が生じた。

3 本件土地は国有財産であり、債権者はその適正な管理をなすべきところ、債務者による前記放送によって迷惑を受けた付近住民から、債権者に対し苦情が寄せられていた。さらに債権者は、演対協を通じ、債務者を除く全ての地元関係者と協議の上、地元関係機関と使用協定を締結して演習場を使用してきたところ、昭和五八年八月二日から四月上旬にかけて行われた債権者と演対協等地元関係機関との間の使用協定(第三次)の締結交渉の際、地元関係機関から一致して本件建物等を早急に撤去するか、少なくともそこから中核派を早急に退去させる措置をとるよう強く要請され、債権者は早期解決を約束したが、債務者による前記放送活動などを契機として、同年七月二〇日、演対協理事会の討議を受けた演対協会長から、再度、地元住民が債務者の活動によって非常な迷惑を受けているということを理由として本件建物等の撤去又は本件建物等から中核派を排除する早急な措置をとることを強く要請された(なお、債権者が演習場を通じて協議をしていたこと及び右要請の事実は、成立に争いがない疎甲第一二号証の一、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定され、弁論の全趣旨により原本の存在が認められる疎甲第二九号証の二及びその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき疎甲第二九号証の一、第三〇号証により一応認めることができ、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。)。

4  債権者の陸上自衛隊東部方面隊は、昭和五八年四月大型特殊車両(装軌車)教育の効率的な実施のため、本件土地を含む梨ヶ原廠舎北側地区に大型特殊車両訓練場等を整備する計画を立て、本件仮処分決定の執行により本件建物等が撤去された後の昭和五九年三月二九日に同訓練場は完成して、既に使用されている(この事実は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき疎甲第三二、第三三号証、第三五ないし第三七号証、証人山口陽一郎の証言、これにより真正に成立したものと認められる疎甲第五五号証、第六〇号証、同様に訓練場を撮影した写真であると認められる疎検甲第二八号証の一ないし八により一応認めることができ、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。)。このように演習場や梨ヶ原廠舎の近くにある本件土地は、国有財産としての有効利用が期待できるものであった。

5  一方、本件建物等が撤去されても債務者組合員らやその世帯を構成する者にとって日常生活を害されることはない。そして、本件建物等は、一夜で建てられる程度の構築物にすぎない。

二なお、債務者は、前記放送による債権者の業務の妨害を除去する必要があるのなら、放送設備の撤去等をすることで目的は十分達成し、小屋を撤去する断行の仮処分の必要性はない旨主張するが、本件は適法に存続する建物に設置された設備から違法な活動がされたという事例ではなく、そもそも違法に土地所有権を侵害していた建築物に放送施設が設置され積極的な不法行為のためにも利用されるに至ったのである。そして、前示のとおりの事情から、本件建物等を利用した基地反対闘争が今後ますます激化し、本件建物等を存続させていれば、本案訴訟の審理判決を待ってしては避けることができないより以上の損害が債権者に生じる高度の蓋然性が生じるに至ったのであって、放送施設を一時撤去しただけではこの危険を除去することは不可能で、違法建築物を早急に撤去すべき事情が存在したものと判断されるのであるから、債務者の右の主張は採用することができない。

他に、本件仮処分の保全の必要性を否定すべき事情の主張及び疎明はない。

第三結論

以上によれば、債権者の本件申請は理由があり、これを認容した本件仮処分決定は相当であるから、これを認可することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口繁 裁判官橋本英史 裁判官尾島明は外国出張のため署名押印することができない。裁判長裁判官山口繁)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例